普通の親は、子どもには子どもらしくのびのびと育って欲しいと願ったものでした。これに異論を唱える人はいないはずですが、しかし、実際は単なる建前になっているのが現在の日本という国です。
ミスをしてはいけない。迷惑をかけてはいけない。マスコミの批判や議論の対象になってはいけない。後ろ指を指さされるようなことをしてはいけない。疑惑をもたれてはいけない。警察のご厄介になってはいけない、など。
ところが、一番矢面に立ってひんしゅくを買っているのが、政府や中央集権の官僚なのです。しかし、官ばかりではなく、官民問わず1%のための犬という生き方をしています。ちなみに1%犬とは、現在の中央集権システムの下僕を指しています。
1%とは、カバルやオルガルヒの総称です。その昔、カザール人がユダヤ教に改宗して、自らをユダヤ人と自称した所から始まっています。しかし、一部のカザール人ユダヤ教徒は実際はタルムードを密かに信仰し、その一部が金融業を営み、現在の資本主義で言うところの資本家になりました。
資本主義と民主主義はセットのようですが、実際には本当の民主主義は存在したことがありません。地球に存在するのは資本主義だけです。資本主義は強い資本家が弱い資本家を飲み込んで成長する一方通行のシステムです。
今現在、世界でたった6人の資本家が地球人口の半数とほぼ同額の資産を持っています。これが民主主義なき資本主義の到達点です。つまり、自由主義経済というのは単なるプロパガンダであり、システム上、1%対99%にしかならないようになっているのです。
その中核に居座るのが各国の中央銀行です。日本では日本銀行と呼ばれていますが、その正体は単なる私的な民間銀行です。その傘下には大小さまざまな中央集権があり、大企業があります。
20世紀では、勝ち組になるには1%の犬になって中央銀行傘下に入るのが最も近道でした。創業者にその意志があろうがなかろうが、規模が拡大すると自動的にそうなるように仕組まれているのですが、儲け話が有利に転がり込む代わりに犯罪組織の一翼を担わされることになるのです。
今となっては恥さらしの代名詞であり、日本会議のメンバーになれば有利な取り計らいが得られるのと同じようなシステムです。少なくとも1970年代には、1%犬ではない優良企業がありました。しかし、1990年代にバブルが弾け、企業業績が長期低落傾向に入ると1%同調圧力が席巻したのです。
今や、大小の規模に関わらず、日本の主な企業の上層で1%企業ではない会社を探すのは至難の業になっています。まず日銀が1%の上級従僕として君臨し、その傘下の銀行からどんどん出向役員が送り込まれて来るのです。送り込まれた出向役員の主な任務は内部から企業風土を1%式にシステムを転換することなのです。
当初は有利な取引に恵まれ、融資も好条件であり、銀行上がりの出向役員の株は見る見る上昇しました。しかし、創業期、生え抜き社員の苦労を知らないことでこの先、長いスパンで何に投資すべきかの判断など出来るはずがありません。
華々しいデビューを飾ったまではいいですが、そもそもの実力がないので業績が悪化し、この30年ほどは苦しくなればコストカットのワンパターンを繰り返してきました。研究開発等の将来への投資は行わず、生え抜きの社員、従業員も大事にしたことはありません。
さらに、人の顔色を伺って、派閥の色分けを鮮明にするしか脳がなく、社内の空気は暗く淀むようになりました。銀行の出向役員は子飼の部下を1%犬で固め、創業家や中興の祖を潰しにかかるりました。儲けの少ない中核部門の採算は取れなくなり、目先の儲けは華々しいですが、長期戦略に欠ける部門ばかりが乱立することになりました。
さて、まともな人間は人の顔色など気にしないものです。そういう社員がいないと新規開拓なんて到底無理です。しかし、いくら実力があっても1%犬社員によってたかって潰されることになるのです。その後の末路は押して知るべしでしょう。
その一番分かりやすい例が東芝です。完全なアメリカ軍産複合体企業の一翼を担った時点で今日の衰退は決まっていたのです。本来なら政治家や官僚が1%路線に誘導した責任上、最期まで面倒を見るべきですが、それは無理です。なぜなら、本家本元の1%が落ち目だからです。
さらに、東電も東芝や日立、三菱などと同じくアメリカの軍産複合体企業の一翼企業であり、エネルギー生産ではなく、主要品目は戦争に使う核爆弾原料を扱っています。だから、国から赤字補填されているのです。黒字業績を維持させるためには、税金を上乗せして救済するしかありません。加えて、株主の存在があります。
1%犬といっても、そこには序列があり、救済する、しないのさじ加減は1%が決めています。その株主とは、共犯関係にある利害関係者のことです。しかし、いざとなったら切り捨てご免で1%のシステムでは何重も保険をかけて利権構造を維持してきました。
しかし、最近はその維持にも限りが見え始め、最後の最後は資産蒸発、一文無しとなるかどうかです。ハードランディングかソフトランディングのいずれかは分からないですが、無傷では済まないでしょう。
飼い主のいない犬は野良犬になるしかないのですが、エサは自分で取って来るしかなく、長年1%犬をやっていたので、経営幹部も従業員もエサの取り方すら知りません。彼らが出来ることと言えば、人様の顔色を伺うことくらいなのです。子どもの頃から親の(他人の)顔色を伺う習性に磨きをかけて、陰々鬱々とした不機嫌なしかめっ面をし、官僚はどこかしら幼さの抜けない特徴的な表情をしています。
1%犬は現在、日本にも大勢存在していますが、存在自体は絶滅危惧種に指定されています。自然循環から見ても孤立しているので、あっても無くても変わらなくなりました。ただし、人間社会の仕組みから見ると、著しく巡りを損なうので早々に駆除しなければなりません。
人の顔色を読んで順調に出世できた20世紀はとうの昔の話であり、1%以外は人種差別レベルにまで及んでいました。打算的な計算で1%犬志願者が増えたのも理解ができますが、今やまったく合理的ではないに気づくべきです。
人の顔色を伺う人間は基本的に弱いものイジメをし、イジメられるのです。これが子どもから老人まで蔓延したら、この世は地獄ということになります。信じられないことに、中央集権の仕組みは20世紀のまま、いまだ1%式です。早々に切り替えないと取り返しがつかなくなるでしょう。
では、一体どこから手を付ければ良いのかと思うかも知れませんが、実際は極めて簡単なのです。親世代は20世紀を繰り返しても何ら得るものはないと悟るべきです。子どもを子どもらしく育てるシステムが最優先されます。
人の本領は脳ではなく、心なのです。もちろん物理世界ではない話ですが富の再配分は公共の話なのです。公共に固有の人間の所有者はいません。そして、物事の判断基準は生命環境に資するかどうかなのです。システムは固定してはいけません。システムは自然循環の巡りの一環です。
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