人とは心のことです。人類を3つに分けると、
①悪魔に魂を売った人間
②悪魔に使役されている人間
③それ以外の人間
日本人は生まれた時から植民地での暮らしをさせられているわけですが、全ての仕組みは②の悪魔に使役されているタイプを前提に構築されているように思います。なぜなら、安倍晋三記念小学校に喜んで子息を入学させる親の願いは我が子の出世という世論があるからです。
その他の小学校に入っても基本同じですが、しかし、出世できるのは限られた人種になっています。公明正大な競争原理など存在しないこの国では、手っ取り早く出世するには両親、または祖父母、曾祖父母が朝鮮半島の血統であることが必要です。
もちろん学力で抜きん出ればその限りではないと、言いたいところですが、学力に抜きん出れば自ずと脳に偏った人間が育つ仕組みになっています。それをある種の精神病と言う人はいません。
さて、その心とは人間のどの部分なのでしょうか?
それは、心臓のことです。本来は霊であり、意識は物理世界にはありません。肉体は物理存在ですが、エータル体とアストラル体、コザール体は非物質領域です。それを貫く同じく非物質の7つのチャクラがあります。対応する器官は肉体にもありますが、その器官はホルモン分泌で上位世界の作用に対応します。
このネットワークの中心が心臓なのです。心臓には同じく非物質のセンサーが備わっており、脳とは別に独自の情報処理を行います。むしろ、脳が補佐的な役割をするのです。
ところが、脳に偏った人間は相当無理をして言語的概念や、概念のための概念を駆使して記憶を軸に自らの世界を認識します。これ自体、結構なストレスなのですが、それが高じて精神を病むことになるのです。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどギリシャ哲学はどんどん分析的になって、アリストテレスの時代には現在の西洋哲学(科学)の基礎ができたと言われています。しかし、ソクラテスは遥かに広大な統合世界を自身の世界に展開していました。プラトンがその中間です。
アリストテレスが分析的と言っても、現代の脳に偏った人間よりは遥かに統合的です。分析は断片であり、それが行き過ぎれば、決して統合し得ない世界を彷徨うことになります。偏脳人間は軽度~重度の精神障害を抱えて生きざるを得ないのです。
ところで、世の中には恐ろしく記憶力の優れた人物がいます。全国の駅名を全部言えるとか、歴史年表の年号を全部覚えている人がいます。しかし、これは暗記力とは言わないようです。本当の意味で記憶力がいいのは、過去の情景、その時の心理、自分だけではなく相手や第三者の心情をも鮮明に心に留めます。心情風景の中には風のそよぎ、水音、小鳥のさえずりすら含まれています。
彼は、記憶の断片さえあれば、次々にそれを繋ぎあわせ、随分と込み入った人間関係の裏表すら、今ここにあるかように再現してみせることができます。これが本当の記憶力なのです。本当に記憶力が優れている人は、過去と現在の間に溝がほとんどありません。このような人が頭脳明晰であることは確かですが、偏差値が高いとは限りません。
こういう人は往々にして学業には関心がなく、人から教えられることは話半分で聞く傾向があります。そして、現状の教育カリキュラムに埋没すればするほどセンスがおかしくなると心得ているのです。
一方、自分が関心のあることは驚異的なのめり込み、深く探求し、関連する広く浅い雑学の範囲も広大でつながりのネットワークを持っています。しかし、このような才能は、現在の仕組みのもとでは浮かばれることはありません。別の意味でも多種多様な能力者がいますが、全然浮かばれないのです。
このように本当の意味で地頭がいい人ほど、世に出ることはないのです。しかし、それでは生活することができません。何とかして人並みになろうとすれば働かざるを得ないのです。どうせ働くなら条件のいいところと、しかしそれには精神障害プログラムをかいくぐらなければなりません。
気がつけば持ち前のセンスは劣化していきます。さらに、どんな仕事でもある段階を超えると統治の根本的な歪みと対峙せざるを得なくなります。根本的な歪みとは、上に行けば行くほど1%が幅を効かす仕組みのことです。
例えば、経済の血液である銀行は1%の巣窟になっています。日銀はいまだに1%に借金し、民間銀行は偽の信用創造をつくっています。東芝倒産の危機は、1%同士で助け合うでしょう。あり得ない話ですが東芝のような国策企業の規模でない企業なら、とうの昔に潰れているでしょう。
アメリカの軍産複合体の一翼を担わない限り、一流企業にはなれません。上層部は1%か朝鮮代理支配系統でなければそれ以上の出世は望めないのです。したがって、官も民も無く組織で働く人はある意味悪魔に使役されないと生活することができないのです。
企業の社会的価値は20世紀で足踏み状態になっており、21世紀に相応しい仕組みには合致していません。残酷なことを言いますが、1%に甘んじる限り、幸福とは縁がないのです。あるいは、誤魔化しの不幸を選ぶしか選択肢のない、諦めかけた人々の受け皿はたくさんあります。
では、悪魔に魂を売った人間はどうでしょう。大雑把に人口比1%ほどですが、その中の0.1%が本来の意味で悪魔と取引をしているようです。さらに、その中の0.0001%が悪魔を招聘することができるようです。ただ、これをやってしまうと世界とは縁が切れ、宇宙に居場所が無くなってしまいます。
では、それ以外の連中はどうなるのでしょう。今現在、生活が安定していてもこの先どうなるか結果は明らかです。江戸時代の世なら間違いなく磔獄門の刑ですが、逃走すれば、問答無用で切り捨てご免になるでしょう。
さて、20世紀は17年前にすでに終わりました。①と②が世の中の軸になって発展したかに見えた社会はどうなったでしょう?今も世界では環境破壊、経済格差、貧困、病気の蔓延、災害の蔓延、そして止まらない罵り合いが起きています。
ここに来て、③は虫の息になっています。よくぞ、今まで生きてきたと誉めてもらいたいものです。しかし、今のままでは明らかに力不足です。全人類の98%の人口を持つ②の助力がなければ手も足も出ません。
この世界はほぼ同数1%ずつの①と③です。その他様々なレベルの②が98%は、自分の胸に手を当てて聞くしかありません。果たしてこのままでいいのかどうか?
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