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48.「国のため」という本当の意味

国とは一体何でしょうか?

国は、個人の個人の意識の所在です。意識は物理世界には存在しないので、国は精神的な世界に本体があります。もちろん、それを五感+感情+マインドに落とし込んで世の中を見ているので、自然と地球上のどこかの場所でもあるのです。

動物が荒れ地を復興しようにも、それはできません。他の生物は環境に100%依存しているので、我々人類がやるしかないのですが、20世紀までは破壊ばかりしてきました。自らの生命環境を良くしたいという人類共通の願いも虚しく、1%は今日も悪さを止めません。

微生物の助けを借りて人間が良好な環境を作るのが、人類の基本的なミッションなのです。インフラと称する交通網や通信網が網の目のように張り巡らされた場所があちこちにできましたが、文明文化は栄枯盛衰です。

自然循環とは相容れない政治経済が勝手に増殖しても、自然と頭打ちなるのはこの世界が物理的法則一辺倒でない証拠です。自然循環を理解できない者は、何度でも同じ失敗を繰り返します。そんな連中に支配されて貧困を余儀なくされる国の住民はたまったものではありません。

どんな場所に生まれようと、そこを国と呼べと強制されるいわれはありません。生まれたところが植民地でも悲嘆にくれることはないのです。人は、どんな場所に生まれようと、どこにも負けない生命環境に作り替えるために生まれてくるのです。

「住めば都」は、意識世界にすでにあります。しかし、物理世界に存在しない原因は明らかです。一方、霊性世界では、思うがままの環境を瞬時につくることができます。今でもそのクセが抜けない人は、頭蓋骨の中が沸騰するくらいじれったい思いをしていることでしょう。

しかし、もっと最悪な連中がのさばっているのです。何を勘違いしたのか知りませんが、政治家や官僚、大企業は国の統治者を自負しています。彼らの理屈だと、このエリアに生まれたのだから自動的に1000万円の借金を背負えと命令していることになります。

小学生前の6歳にも満たない子どもに早朝からコーヒー豆の摘み取り作業をさせる人間もいます。働き詰めの子どもなど眼中になく、自称先進国のおしゃれなカフェでコーヒーブレイクする優雅で貧困な人々を見ると、私は、スターバックスを見る度に虫酸が走るのです。

そうかと思えば、中学生前の12歳にも満たない少年に銃を持たせて前線に駆り出す人間の背後にいる者は国にこだわりがないようです。せっせと他国の生命環境を荒らして、荒稼ぎをする国境なき集団が今、あちこちで処分されています。

国と言っても千差万別で、素晴らしい福祉国家もあれば、そうでない国もあります。今のままで充分幸福な国もありますが、世界標準が壊れているので、動的平衡のための活動は終わりません。

民主主義という名のもと、選ばれた代議士が国民の代表だそうですが、代表が決めたことなら、国民には遵守する義務があるというのは主従関係が逆転した理論です。戦後72年目を迎える日本、いままで国であった試しが一度もないのです。

徴税率は世界有数ですが、使い道を大きく間違い、結果、国民は貧困にあえいでいます。早い話、無能なリーダーの失敗の連続によるものなのです。国会議員も地方議員も相当数が何を決めようと、法制化しようと、そんなものは無効にすべきです。

まして、選ばれもしない官僚が当たり前のように「国としてとか、国の方針なので…」などと言います。ならば、あなたがたは何で存在しているのでしょうか?

彼らは「国」を名乗るのは天に唾を吐くようなものですが、そんな彼らのご都合を鵜呑みにする人々も天に吐いた唾を浴びる人間になっています。この両者は、意識障害で主権者としての意識が希薄か、あるいは意図的に反逆しているのでしょう。いずれにしても、主権者になる資格はありません。

「国」を官僚制度や機構に求める事自体、愚か過ぎます。「国」が何とかしてくれるとか「県」が何とかしてくれるとかという主従関係が逆の考えでは、今までのように奴隷のままなのです。「こちらが税金を払っているのだから当然」というのは間違った考え方なのです。

納税は依存取引の条件ではありません。その証拠がパナマ文書です。何とかしてくれる場合も、そうでない場合もありますが、「国」はご都合主義の天秤でもありません。明らかのは、主権者がいない「国」は泥棒の餌食になることです。まさに現在の日本が生きた見本です。

「国」とは、個人個人の意識の中の実在です。リンゴを見て、誰もが同じ色、同じ香り、同じ姿形を見ているとは限りません。同じように「国」もひとりひとり違うのです。当然「国のため」の意識も千差万別です。それを一つにしようとする人間は詐欺師と相場が決まっているのです。

日本という場所、環境は固定することはできません。それをあたかも固定して、行政権を主張する中央集権は始めから間違っているのです。百歩譲って、それでも善政を敷くなら話は別です。彼らが「国」を名乗っても批判はしないし、もう少し見守ってみようかとなるのでしょう。

しかし、悪政に次ぐ悪政で怒る気力さえ萎えてくるのです。呆れ果てています。そもそも、自然循環に反した仕組みでまともな循環が成り立つ道理がありません。中央集権が成立するのは、少なくとも20世紀以前の世界標準がベースである限りにおいてでした。

人間の意識は、すでに地上世界の仕組み(中央集権構造)に対応していません。そんなあやふやなものを基準にしたら、物理世界と上位世界との境目に断層ができてしまいます。断層は物理的にも存在していますが、意識障害の一種でもあります。こんなものがあると無数の隙間ができ、強欲主義者がつけ入る隙だらけになるのです。

物理世界と意識世界の断層が少ない仕組みほど、個々の意識が反映されます。それが、ある程度誰にでも感じられる世界がこれからの世界標準となりそうです。例えば、1億人の意識の50%が古いままだとしても、たとえ1%でも次の標準に対応するなら20世紀をそのまま続けるのは生き地獄ともいえます。

古いままが必ずしも高齢者とは限りませんが、年々、人口構成=意識は変化しています。なので、「国のため」というような意味不明な言葉が先にいって変化を無視したらどうなるのでしょうか?いずれにしても大多数が苦しむのは当然なのです。

阿呆集団が支配する場所は、世界標準から取り残されることになります。取り残された「国」に住みたい人は住めばいいですが、それが嫌な人はたまったものではありません。

「国のため」に変化を望み、変化を受け入れる。つまり、仕組みを変え、人材を代える。新たな仕組みを受け入れるだけでなく、より良くしたいと思う意識が本来の「国のため」という意味なのです。せっかく「国のため」と、思う気持ちを踏みにじる支配層は刑務所に直行すべきです。

道理のわからない人間が名乗る「国のため」で「国」が滅びた例は歴史上いくらでもあります。日本民族も「国のため」で「国」を滅ぼす寸前までいった屈辱を、たった72年前に経験したばかりではないですか?

47.まともな世界は着地点を見据えている

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49.2017年、平成29年、あけましておめでとうございます。