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42.煙たがられない首長はクビ

小学生時代にほとんど人格形成は決まるという説があります。仮に何らかの矯正が必要だとして、ギリギリ間に合う可能性が残されているのが中学時代です。さて、今時の小・中学生はこの世の中をどのように見ているのでしょう。

「大人は嘘つき、不公平、えこひいき、卑怯」

中学生ともなれば、この手の微妙なニュアンスの違いに敏感になります。私が人を選ぶことができる立場なら、偏差値が高い人材は要りません。中央集権の犬ポチ発想が世の中をダメにしているからです。日本全国、中央集権のヒナ型を縮小したフラクタル構造をしています。判で押したように、地方自治体が、中央集権の縮小版に収まる必要はありません。

子どもに例えるなら、小学校低学年の時点で、人に必要な基本が間違っています。全国の首長は、どこにも無い新たな民意反映機関を構築する義務があるはずです。墜落と不時着の違いも分からない仕組みに、イジメや自殺問題に対するセイフティーネット機能が果たせないのは当然です。少しばかり本音を言えばよってたかって叩くクレーマー社会を見ればおぞましいのはどちらでしょう。

親でも、教師でもいくら相手が幼いとは言え、人同士の付き合いはぶつかり合いが基本です。相手は霊格を備えた存在である以上、ぶつかり合いは霊と霊の対峙です。向き合うなら、相当な腹を決めてかからないと負けることになります。

品行方正は結構ですが、ちっぽけな人格が人様の上に立つことは許されません。そこには男も女もなく、どうやってこの?だらけの世の中で、一人前の人に育てることができるのでしょうか。しかも、いまだ植民地で、自由を著しく制限された日本では、鋳型に嵌めたい中央集権の圧力の下部組織に居る分際なら、問題視すべき案件は山ほどあります。

子どもには、状況に応じて自分の生存環境を確保するための、逃げ場が必要です。そこで喫煙しようが、酒を飲もうが、たいした問題ではありません。しかし、いつまでも逃げ場に隠れている場合ではないのです。そこからどうやって立ち直るかがカギになります。

しかし、教師なり、それに準じる者が喫煙を取り上げ、その背後にあるもっと大事な者を見失うとき、その児童に残酷なレッテルが張られることになります。喫煙のせいで停学、あるいは退学になった落ちこぼれのレッテルを誰が張っているのでしょうか?

それは、行政なのです。従順でない子どもは落ちこぼれ、切り捨て、社会から村八分にする仕組みです。これが今日も日本全国で日課のように行われています。恐ろしいことに、大半の大人がそれを黙認しているのです。

重宝されるのは人の基本が分かっていない偏差値が高い人と人の間を漂う人間だけです。そんな人間に人をジャッジする権限を与えるのは植民地統治ならではの基本戦略なのです。中央集権は、次世代のまともな成長や進化を阻害するための道具になっています。その道具として偏差値主義で首長を並べてまともな行政ができるわけがありません。

中央集権に煙たがられない首長ほど無能の証明ということになります。そもそも、中学時代に反抗しないでいつ反抗するのでしょう。子どもは言葉にはできなくとも、直感で?を見抜く能力が備わっています。そして偏差値主義の中で育てと言われる意味も薄々感じているようです。

男も女もなく、暴力はいけないとはいいながら、ひっぱたかれた方がいい親はたくさんいます。子どもが親をひっぱたくのは、愛情の裏返しです。もっと酷い親はすでに見放されています。子どもは表向きお利口な偏差値エリートを演じて、イジメ構造の管理者になるか、それとも箸にも棒にも引っかからないクズ人間になるかのいずれかです。

しかし、どっちも発端は同じです。親に殴りかかって来るくらいの勢いがあって然るべきです。親は黙って殴られてやってもいいのです。でも、絶対に負けてはいけません。なぜなら、手を出す出さないは自分の力量に考えて決めるべきだからです。キレイにビンタができないなら、当りどころを間違えて大事故になるかもしれません。親は殴られても殴り返さない方がいいということです。

しかし、気迫で勝たなければお話になりません。決して暴力を許してはならないですが、子どもの本音を引き出し、言いたいことを聞いてやるのが親の役目なのですもし、親に愛情があるなら、子どもに殴られ、泣きじゃくって、尻込みして、みっともないにも程がある醜態を晒しても、諦めること無くモノを言うべきです。

身体を張る覚悟を決められる親なら、未熟ながら親としての意志を伝える義務を全うするべきです。学校に行くことを前提にしてはいけません。偏差値エリートでなくて何の問題もないと伝えるのです。子どもの意思を尊重し、それでどうしてほしいのかの要求に対して、出来ることと出来ないことを明確に伝えます。

お互いに思いの丈を言葉にできないのは仕方がないですが、そこはじっくり時間を掛けてつきあうしかありません。なぜなら、小学生時代にすでに意思の疎通に失敗したのは、子どもの責任ではないからです。これがこじれると刀傷沙汰も視野に入るようになります。自分の子育ての失敗を警察、行政に任せるハメになるということです。しかし、その警察・行政にしたところでまともな人間ばかりではありません。

中央集権の組織とは、前例踏襲で我が身が大事、事なかれ主義に長けた人間が出世する仕組みで構成されているのです。中央集権がお手本の組織には何一つ期待することはできません。イジメや自殺を行政に頼るのは間違っているということです。子育ては家庭の責任です。

今の学校に人格教育を求めるのは間違っています。義務教育は、偏差値エリートを振るいにかける養成所という意味しか残っていません。子どもが学校へ行きたければ行かせるべきです。しかし、見守る姿勢をおろそかにしてはいけません。

子どもが嫌がるなら、行かせるべきではありません。その子どもにはあまりにも過酷な環境だからです。まして、無能な教育委員会とか、行政の担当部署に一体何ができるというのでしょうか?

生きるために命のやり取りをするべきです。そうすれば、子どもは強さと優しさの振り幅が大きい人に育ちます。誰も中央集権や地方自治体の中の人が人格者だとは思っていません。その逆で、無能な犯罪者の手先がゴロゴロいることくらい知っているでしょう。

大人がクレーマーになりすぎれば、子どもは価値基準を見失っていきます。クレーマーになりすぎる人間ほど、お仲間の犯罪者の下で犬ポチになるのです。犯罪者がのさばるとクレーマーものさばるようになります。これが子ども社会に縮図となって現れる悪循環を引き起こすのです。

今後、自浄できない組織はこの過程を早回して内部崩壊することになります。これがイジメや自殺問題、ひいては少子化をクリアする早道なのです。

41.カジノ法案の成れの果ては刑務所

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43.何度も同じ手に騙される政治家・官僚・一般市民