163.本当の豊かさを失った私たち日本人の生活①

ペットの犬や猫が何かをしようとしているのを見つめていると、一見不器用に見えますがその仕草が可愛いと言う方がいます。しかし、本当に不器用かどうかが見極められるかが問題です。

実際は、真逆で不器用なのは人間の方です。手で何かをつくる行為というのは、元々形のないエネルギーを物質世界に固定することに他なりません。何かを切るなら、堅い石を削り落としたナイフでも用は足ります。

しかし、これまで私たち人類はたくさんのツールを使い、時間の多くを使って結果を得ることに費やしてきました。道具を使いこなすには熟練が必要ですが、例えば船を操縦して漁具を使って魚を取るには熟練に加えて経験が必要です。

また、英会話を上達させるのにも様々なリスニング・ツールで聴き、どこかで誰かと英語を話す必要があり、コミュニケーションを図るには熟練が必要です。それ自体には何の問題もないわけですが、いつの間にかそれがおカネに代わり、おカネを得るための物理世界に入り込んでしまっています。

結局、大事なことを意識することを忘れ、何もしない時間はどんどん減っていくばかりです。しまいには睡眠時間を削り、食事の時間も十分に持たずに働いています。そうまでして、仕組みのツールとして使われることを不器用と言うしかないということです。

実は、石器時代の人類は高い運動能力がありましたが、危険を察知する野生の勘もあったと言われています。当時の地球環境がどうだったか詳しくは知りませんが、明らかに現代人より鋭敏なセンスがなければ生き延びることは不可能であったようにと思います。

すぐ横には野生の動物がいたため、裸の人間は狩りやすいエサであったわけです。彼らは、生命環境を支えるエネルギーを敏感に感じ取るセンスを持ち合わせ、植物が生える原理や水、大気、光、養分について詳しく知る必要などありませんでした。

それよりも、自然に繁殖する植物や動物、魚、鳥、虫などの成長度合いを観察していたものと思われます。そして、その差を決める要素は物理世界には存在しないことを知っていました。

そのような状況の中、感受性の弱い民族は不利な場所に長く留まることになり、農耕や狩猟を始めたとしても上手くいかなかったはずです。一見肥沃に見える平原であっても、生物を活性化する環境が足りなければもはや長居は無用です。

多くの人間を養える土地とそうではない土地との差は歴然で、物理世界の構成要素ではなく、よりよい生活環境を感知できなければ死活問題にまで発展していくわけです。もし石器人を現代人に置き換えたら、必要な食糧は瞬く間に枯渇し、数年で人類は絶滅するかもしれません。

豊かな生活環境をつくり出すエネルギーが足りない場所は、弱肉強食が支配するエリアであり、日本に欧米人や中国人、韓国人が次々と入ってくるのをただ眺めているだけなら命はないものと思うべきです。

それを防ぐためには、現代では「情報リテラシー」というツールが必要です。できる限り手足や五感、その延長線上の意識を使い、本当に何が起きているのかをテレビや新聞だけではなく、自分で感じることが求められています。

しかし実際には、現代人は生命環境を蝕むあらゆるツールや仕組みに埋もれて暮らしています。だからこそ、空虚な映像や音を駆使したあらゆる誘導プログラムから距離を置き、できるだけ自然の残る場所に身を置き、何もない時間をつくることが必要ということです。

何もない時間を埋め尽くす波動エネルギーのただ中にある人がニュートラルを取り戻せますが、それを忘れると生命環境に関係するセンスはなくなり、「戦争に参加するように…」と、平然と言い放つ総理大臣が出てくることになったということです。

162.2020年1月1日からは、お金ではなく、法律以前が通用する世界を求める

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