162.2020年1月1日からは、お金ではなく、法律以前が通用する世界を求める

もし誰からも干渉されずに勝手気ままに生きたいなら、どこかの山奥か、離れ小島で独りで住む選択肢を私たちははっきりと持っているわけです。

人口密集地である都会の気ままな暮らしとはいえ、そこには人間同士のつながりが避けられないのが現状です。ところが、そんな鬱陶しさを避けながら暮らせる気楽さが都会暮らしの醍醐味であるかのような間違った個人主義を謳う人間たちがいます。

その人間たちは、それに伴うリスクには一切目を向けない特徴があり、大都市の人口は膨大であっても、いとも簡単に人々を無視しています。例えば、福島県のある地区を特区にし、放射能被ばくの基準を緩めているのは明らかです。

住民は反対を叫びますが、それが烏合の衆なら国も自治体も簡単に無視することができるわけです。特に、この数年間は放射能の閾値(いきち)は行政都合で下がる一方です。また、愛媛県の加計学園問題で今治市民は今も怒っていますが、地域にまともな人間のつながりがあれば独裁者の横暴にも釘が刺せたはずです。

さらに、沖縄の風光明媚な自然の宝庫を埋め立てて米軍基地を建てるとなれば、それに地元の人たちが反対するのは当然のことです。もし反対しないなら、地域住民として自然環境から切り離された証拠になります。

しかし、多くの人間が自然環境よりもカネを欲し、子孫が死に絶えても原発立地を確保したいと考えています。このような「人」と「人」の間を漂うだけの「人間(人でなし)」の大人が増えた理由は、ついに何も感じなくなってしまったからです。

「人間」の存在については都市も田舎も関係なく、自己責任と言いながら実際は行政任せでしかなく、いざとなったらクレイマーになるだけです。しかし、そこでモノを言うのは政治力であることから、一般市民やその他大勢は泣き寝入りするしかありません。この差は一体なんでしょうか?

基本的に自治会や町内会、そして個々の暮らしの自立心と独立心がないのが日本の現状です。具体的には、団塊世代はカネのことしか考えて来なかったため、認知症にかかる確率が高いことが明らかになりつつあります。

50代・60代の多くも、1980年代の金融バブルを忘れられず、未だに適切な金銭感覚を持ち合わせないままです。この世と自分の間に「ズレ」が生じており、まともな金銭感覚を持った人なら二度と話したくないと思っています。

そのような状況の中、カルト宗教集団を前面に出して来る近隣もいますが、法律上では思想信条は自由で信教も自由になっているようです。このように、ほとんどの日本人はその「ズレ」に気づくことなく、一生を終えられるということです。

一方、東南アジアや南米には最小行政単位ごとに「リーダー」がいます。都市にも田舎にもこのような制度がありますが、リーダーはそれなりの力があります。

行政や法律以前の様々な問題を解決し、いい加減なことはできません。なぜかといえば、多くの目がリーダーの振る舞いを見守っているからです。

今でも現代の日本では考えられない「遠山の金さん」並みの人情お裁きが行われています。そこに人間の血が通っていれば、面倒な法律の出る幕はないということです。つまり、カネではなく、法律以前が通用する世界です。

裁判が血も涙もない制度であるということを、一度でも裁判を経験した人なら皆知っています。しかも日本の司法は、安倍政権に対して忖度するだけの巣窟でしかありません。問題解決方法が行政頼みでしかない、あるいは裁判しかない暮らしほど危ういものはありません。

正に、戸板の下は荒れ狂う海で、木の葉のように翻弄されるしかないその他大勢の運命は、「思いの他、果無い」ということです。

161.「誰からも邪魔をされずに気ままに暮らせる」とは、自ら主権放棄をしているだけのこと

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