全員が対等な立場でつながる社会・会社づくり

⑭損得勘定よりも「善悪」で判断できる価値観

2020年11月のアメリカ大統領選挙以降、アメリカでは「トランプ/バイデン」という「善/悪」という価値観がアメリカ人の中にもそれぞれ明確に出てきました。

現在の「経済学」では善悪という価値観は取り上げられることがなく、「損得勘定」によって人々が行動しているように思います。例えば、企業は自分の損得しか考えない強欲な経営者が、できるだけコストと時間をかけずに雇用とリストラを繰り返すことが競争力であると思い込んでいます。

逆に言えば、こうした善悪を無視した「損得勘定だけ」の経済学がメディアに取り上げられたために、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ以降の国際社会や、2011年に起きた東日本大震災以降の日本社会の秩序が悪化し始めたと言わざるを得ないわけです。

世界各国の政府や国連、そして世界経済フォーラムのダボス会議では「改革」や「グレートリセット」というテーマを提示しながら、さらに経済格差だけが広がっていく一方です。それまでかろうじて残っていた善悪という価値観は、2020年のコロナ騒動によって完全に排除されました。

なぜそうなったのかと言えば、世の中のあらゆることを多くの人々が損得勘定だけで判断しようとしたからです。しかし、2020年代はカネではなく、人との関係性のほうに価値が移っています。損得勘定ではなく、善悪という価値観があってそこではじめて経済活動ができるようになるわけです。

また、このような共存共栄の社会では、社会の安定性と長続きする関係というものが世の中の基本的な構造になってくると思います。カネだけでは取引や契約ができなくなり、過去・現在・未来を通して成立することになります。

最終的に、経済活動そのものはお互いに支え続け、価値観を共有するためのコストの交換というところに落ち着いていくものと考えられます。

⑮なぜ民主主義や資本主義は失敗したのか

2008年に起きたリーマンショック(世界金融危機)以降、なぜ資本主義経済が崩壊したかと言えば、自由競争を推奨する経済学そのものに問題があったからです。具体的には、価値を労働することで評価し、利益を得るための言い訳を許してしまったからです。

戦後、失業と飢えを社会からなくし、身分制度をなくし、資本主義を越えてより良い社会にするはずであった経済学は偽物であったことは明らかです。しかも、日本の場合は資本主義国家というよりも「社会主義国家」に近かったように思います。

中国やロシアなど社会主義や共産主義の国では、政治体制が独裁的で抑圧的ですが、斬新なアイディアが否定され、組織の至るところで腐敗が蔓延しているのが特徴です。特に、2013年からの安倍政権からは社会体制の崩壊を確実に速めました。

実際に、これまで多くの日本人は時給や日給、月給など時間を目安にして労働の価値を評価していたことから、本人の得意分野や趣向など個性に合わせた就職や教育ができず、労働時間だけで経済を回していたため、世界的に競争力や能力を失ったように思います。

また、長年の自民・公明党政権による政治体制の中で、建前による善悪と現実の善悪にギャップが生じたことで、国民の間で不信感が広まって資本主義や社会主義の理念に基づく経済活動を内部から崩壊させていったわけです。

現代の経済学では、東大卒の頭が切れるトップが政府や企業を運営していくという、「ケインズ経済学」を中心に運用させてきました。ところが、現実にはさほど賢くない人材がトップに選ばれ、仲間内の利権構造だけで税金を中抜きしてきたのが現状です。

だから、経済活動の場で人材の潜在能力を最大限に発揮することができなくなり、結果を残しても忖度できなければ組織や社会から排除されてしまうようなことが起きてしまいました。実際に、政府や省庁、地方自治体、あるいは企業の内部に善悪の基準をねじ曲げたり、腐敗が起きました。

だから、大企業ほど組織的な弱体化が始まり、コロナをきっかけに結果として巨額の財政赤字を抱えるようになったということです。こうして考えてみると、私たちは政治家や官僚、公務員たちの腐敗の問題を全く解決できないまま生きているだけです。

⑯偽物の経済学を学ぶのではなく、本物の経営学を学ぶ

実は、これまでの経済学の通りに経済活動を進めたところで、政府や企業、個人は経営破綻するしかないところまで迫られているのが現状です。これからの経済活動には、「自然循環」と「善悪」という価値観を加える必要があります。

結局、経済学を新たに学ぶのではなく、どちらかと言えば「経営学」を学ぶ必要があるように思います。単純に名称が違うだけですが、これから経済活動に関わるには地球環境の中にある自然の恵みに感謝し、価値を消費するという新しい生き方が生まれてきます。

基本的に、経営というのは価値を生むことですが、企業とはその価値を生む場のことであって、企業は世の中が良い方向に発展していくために商品やサービスを考案し、世の中に提供する義務があります。

経営学というのは、その企業が持つ理念や想念によって、世の中が発展するために努力しなければなりません。企業というのは、商品やサービスを提供するだけではなく、人を雇用して教育したり、顧客や地域、そして取引先と長く付き合っていくものです。

だからこそ、経営学を学ぶには様々な教養も必要になり、視野をいくら広げたところで決して完結しない学問とも言えます。これからの経営学というのは、本格的に社会での人間行動を科学的・体系的に研究する経験科学となります。

具体的には、社会学や政治学、経済学、法学、社会心理学、教育学、歴史学、そして文化人類学などを全て学び、現場で試してそこではじめて身につく経験科学であるということです。

⑰アトラス株式会社の新しい経営学

これからの経営学では、ひとり一人がリーダーシップを持つことが必ず必要になります。賢い人をトップに据え、自分は楽して儲けることはできなくなります。また、グループ企業のようなピラミッド型組織は解体されていきます。

その代わりになるのが、誰もが対等な関係にある商店街のようなコミュニティーです。子会社、孫会社などの上下関係に縛られたり、権力と服従による支配関係で仕事をする時代はいよいよ終わります。

政府や自治体のシステムが、すでに機能していないのは明らかですが、大企業の社長や幹部、上司がリーダーシップを発揮し、部下に命令して報告させたところでもはや動くことはできなくなりつつあります。

それよりも、全員が対等な立場で、同じ目的に向かって横にネットワークを組めるように働きかけるものとなり、それは社内外でも同じ構造が作られるようになります。「共栄共存」で働く人たちは、未熟な見習いを除き、それぞれ自立した職業人であり、プロフェッショナルであるべきです。

今後、これまでのように経営者が特権的な立場で、社員をその意思に反して動かすということはできなくなります。それぞれ自分で考えて判断し、社内の仕事や会社を超えたプロジェクトに参加していくというわけです。

実際に、この具体的な仕組みについては2000年代に入ってからアメリカで議論されてきましたが、そのヒントが生まれたのは1980年代に高度成長を成し遂げた日本の成功事例からです。だから、日本人にとって横のネットワーク作りは親しみを感じるはずです。

江戸時代の前から日本で大切にされてきた、価値観に基づいたリーダーシップは意外と奥が深く、高度に発展できる可能性を秘めています。これまでとは大きく異なる生活基盤を構築するには、どうしても横のネットワークが経営面で定着しないと成り立ちません。

INDEX

05.ひとり一人に商品やサービスをカスタマイズする社会・会社づくり