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第4章 Atrasマンツーマン英会話の第二言語教育レボリューション

1970年代からの英会話塾、英会話スクールへの歴史を振り返る

本格的な英会話学習ブームが起こったのは、東京オリンピック、さらにそれから6年後の大阪万博博覧会だろう。高校や大学にもESSのような英語部が創設された。YMCAや神田外語学院などが創設されたのもこの頃である。

このころの英語教育といえば、英文タイプとともに、ほとんどが就職を有利にする、という目的のためだった。スチュワーデスや秘書は、英語を活かした仕事はキャリアウーマンのはしりになったものでしかない。その後、英会話学校は雨後のタケノコのように乱立するようになった。

当時の英会話学校は、ステレオタイプなテキストにしたがって、まじめに頭で記憶していくものだった。すべてが大人数のグループレッスンで、外国人講師からではなく、日本人の先生がレッスンをしていた。20人、30人という生徒が教室スタイルで並び、黒板の前の日本人教師の教える英会話に、一同揃って唱和する。

語彙も多く、発音もネイティブスピーカーと似ている、どこか奇妙な英語を話す不思議な日本人先生が誕生していった。いずれにしても、日本人の英語好き、英会話下手というイメージは、こうして世界中に浸透していったのである。

80年代には、国際化する日本人というイメージと同時に、外国語ニーズも高まり、それに応えるかのように、外国人講師でのグループレッスンが主流となり始めた。カルチャースクールが生まれ、若い女性は、料理教室に行く気分で、勤務の後、英会話学校に行く、こうした動機で選ばれる英会話学校は全国の都市に次々と誕生し、また新規にこの業界に参入する企業も増えた。

そして90年に入り、NHKラジオやテレビなどで勉強したり、今のスピードラーニングのようにリスニング教材の市場も着実に拡大して、英会話熱は常に安定成長を続けた。

この頃から、海外旅行の大衆化にも拍車がかかり、新婚旅行の90%以上がハワイかオーストラリア、香港となった。この頃話題となった成田離婚の原因の2位に英語ができないということがあったそうだ。頼るべき夫が旅先でタクシーに乗っても、行き先1つ満足に言えない、ホテルでルームサービスを頼めない…。英語力の不足がもたらすこうした体験のなかで、妻はこの男は生涯頼って生きていくには、あまりにも頼りない、という結論を早々と下してしまったのだ。英会話ができるかできないかでこんなにも人生を狂わせるのだから驚きである。

2000年に入り、たくさんの英会話学校は破産したり、倒産した。中でも2007年の業界最大手NOVAと第2位のジオスの倒産劇は多くの受講生に迷惑をかけた社会性の高い事件となったのは記憶に新しいところだ。

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