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大学卒業後、ピーター・ヨネナガ氏はアメリカ陸軍に入隊した。身長185センチ、体重85キロの大男であるが、アメリカでは平均的な体格だそうだ。 「なにしろ外交官になる方法が分からず、生活費も乏しかったので、陸軍に入隊し、大学院でビジネスを勉強するために奨学金をもらうことができました。その間、単身ヨーロッパに行き、ヒッチハイクしながらヨーロッパ中を見て回りました。パリからミラノまでヒッチハイクというと、壮大な冒険に思われるかもしれませんが、感覚でいえば、東京から大阪まで行く、そんな感じです」 しかし、後になって振り返れば、このヒッチハイク経験も、彼の今日をもたらした一つの原動力になっているのである。 「目的地に行くのに、飛行機や電車にならなければいけない、という発想はしなくてもいいんだな、ということが身にしみた体験でした。本来の目的地からちょっとはずれたコースをたどっても新しい発見があるものです」 モロッコ、チュニジア、アルジェリア滞在中も、ヒッチハイクでアフリカ大陸を横断してエジプトまで行ったり、北欧のフィンランドやロシアでは、ほぼ北極圏でヒッチハイクできるまで3日かかったり、というようなこともあり、ホテルには泊らずに野宿が多かったという。 こうした体験が知らず知らずピーター・ヨネナガ氏を、ありきたりの日本的な枠組みからはずしていったのだろう。こうして話していると、日本語で話しているのに外国人と話をしている感覚に襲われるのだ。日本人がこだわってきた価値観とはまったく無縁で客観的な価値観を持ち、それによって生きていくことに不安がないようだ。自分のメンタリティーは日本人ではなく、アメリカ人だ、というピーター・ヨネナガ氏の話はおもしろい。事実、ピーター・ヨネナガ氏の国籍は米国籍だ。 「ヨーロッパ旅行中やアメリカで大学生をしている時、さまざまな外国人との出会いがあって、それが本当に楽しかったですね。なんとなく、これからもいろんな国籍の人と交流しながら生きていきたい、としっかり思いこんでいましたね」 ヒッチハイクのヨーロッパ旅行は、Atlasマンツーマン英会話への道だったようである。さすがに、アメリカの自宅に帰ってきたときはホッとしたいうが、残金は限りなくゼロに近かった。ピーター・ヨネナガ氏は帰国後にすぐ陸軍に入隊し、訓練を受けるため寄宿所での生活が始まったが、その中で次のステップを探すことにした。しかし、その次のステップがまたこれが変わっているのだ。 「軍内での友人が、私が空手の有段者であることを知って、稽古のカリキュラムを作ってほしいといわれて、私も、それなら、とその気になってしまいました。この辺が私のいいかげんなところです」 その後、半年間は、軍内で空手道場を経営し、奨学金と月謝も手に入れたのだ。1日3時間程度の拘束時間でほどほどの収入ができる。当時、ピーター・ヨネナガ氏は23歳。今となっては貴重な体験だったに違いない。7歳と18歳の2回日本を飛び出してしまったピーター・ヨネナガ氏にとって、アメリカは日本を見直す基準でもなったのだ。 「アメリカやヨーロッパに行くと、自分が日本人であるという意識は逆に強くなるものです。よくよく考えてみると、自分は日本の事のほうがよく知らない。これでは、アメリカ社会には通用しないのです。アジア系男性の場合、ほとんど話かけてもらえず孤独になってしまいます」 そんな彼は、手当たりしだいに日本や中国などの歴史小説を読んでいたという。 |
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カリフォルニア大学に通いはじめた外交官志望の19歳 |
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アメリカ陸軍退役後、大学院ビジネスコースでの生活。24歳 |