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第2章 Atlasマンツーマン英会話が生まれる前のこと

カリフォルニアに再び単身住み始めた18歳

小学校3年生の7歳の秋に、ピーター・ヨネナガ氏は単身サンフランシスコに旅立った。

「私は一般的にいえば、近所の子供と違い、小学校入学時ですでに早々と同級生とはコミュニケーションがとれなかった人間なんです。なぜだか自分でもよくわかりませんでしたが、幼稚園に通っていた時から、日本の小学校には何の興味も感じなくなっていました。学校の授業内容がばかばかしく、むなしくなって仕方がありませんでしたね。でも、なんとなく学校には行かなければならない、という両親からのプレッシャーというものがありました。ですから内心、焦っていましたね。それで、カリフォルニア州の私立小学校に転校したわけです。最初は英語も分からず、どうにか学校に行ったものの、図書館にずっと入り浸って本を読んでいました。それが10歳頃まで続いたんです」

ピーター・ヨネナガ氏の10代。あまりに多感な少年の顔が浮かんでくる。当時は、どんな将来展望を持っていたのかを訪ねてみると、

「12歳の時に日本に帰りたいと思っていました。そして15歳で日本に帰国子女扱いのまま日本の高校にも通うようになりましたが、できるだけ早く自立をしたいと思っていました。でも、まだ経済力がないので、自宅から学校に通う毎日でした。当時はどちらというと体育会系で、学校の授業は出なくても単位が取れるよう当時の校長と交渉して、同じキャンパスにある付属の大学で英語の授業を受けたりしていました。それが終わると、部活で汗を流していました。やはり日本の大学には興味がなく、アメリカの大学に行きたかったですね。カリフォルニア大学に入りたかったのです」

たしかに、一風変わった青年であることがわかる。この特異な個性が今のピーター・ヨネナガ氏をもたらす一つの要素であったことは明らかなようだ。

1972年生まれの彼は、いわゆる第二次ベビーブーム世代である。子供の数が多く、ほとんど学校の先生とは会話を持てなかった。ある意味、アメリカで教育を受けたほうが将来的には良いことを知っていたようである。

第二次ベビーブーム世代の青年は、大きく2つのタイプに分けられる。熱血営業マンとしてサラリーマン人生を一生送るタイプと、反対にベンチャー精神を持ち、近い将来、自分の会社を起業するというタイプだ。

そしてピーター・ヨネナガ氏はまぎれもなく後者だ。

「日本の大学には、もうまったく興味も魅力もありませんでした。また以前住んでいたアメリカに戻ろう。高校3年生の2学期の頃、もうそう決心していました。同じ学年の学生を横目で見ながら、日本の大学に行って何の意味があるのか、と思いました」実は、日本の高校もまともに行く気がなかったという。とにかく幼少から習っていた空手でインターハイや国体に出場するため部活動には毎日通った。事実、北海道大会では何度も優勝して日本代表ユースにも選ばれたほどである。実力はあった。

「学校には行かなかったので、親は何度も学校から呼び出しを受けていたようです。その都度、さすがに両親も何を考えているのか、と私を叱りました。でも、両親は、息子は頭もいいし、不良でもない。そう頭ごなしに叱りつけ、学校に縛り付けなくてもいいのでないか、と考えていたようです」

ピーター・ヨネナガ氏の両親にしてみれば、やはりまともに東京の大学に進んでくれることを願っていたのかもしれない。しかし、この両親の類まれな奥深さを持った親であり、ピーター・ヨネナガ氏にある可能性を感じとっていたのであろう。とにかく、自分の息子を無理矢理に日本的で正直的な進路に封じ込めようとはしなかった。

結局、以前7年ほど住んでいたサンフランシスコに戻ることになった。そして、これからの経験が今日のAtlasシステムを生みだす母体になったのである。

「7歳から生活していたアメリカですから、当然英語も得意でした。いきなりカリフォルニア大学バークレー校に入学できたのは英語力のおかげですね。TOEFLとSAT(英語の資格テスト)はほぼ満点に近かったと聞きました」

この時の体験からピーター・ヨネナガ氏は、Atlasマンツーマン英会話の留学希望者は、留学を成功させるためには、留学前にある程度の英語力と会話力をつけておくことをアドバイスしている。

マンツーマンに特化したブレないレッスンコンセプト

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カリフォルニア大学に通いはじめた外交官志望の19歳