第六感とは、英語でシックスセンスのことですが、人間には肌感覚という超能力が備わっているといわれています。つまり、肌感覚とはシックスセンスのことなのでしょう。
多くの人間が住み着く三次元ご利益世界では、高温と低温の温度差が激しい狭間に位置しているように見られます。生物が生きられる生命環境の限界値は以外に狭く、人は肌感覚で生存限界を計っています。
それを昔の人は占星術や錬金術、そして数秘術に置き換えることで明らかにしようと試みました。物理的な構造はこの2つのバランスで成立しています。どちらかが突出しすぎると長持ちしません。あるいは長持ちしたとしても生命環境としては最悪です。
同じように日本でも陰陽の世界があり、陰陽師は肌感覚を体系的にまとめ、それを高度に駆使し、まるで魔術のような領域に達したといわれています。陽が極まれば焦げ、陰が極まれば溶けるわけです。
あらゆる三次元構造体はその狭間にあって揺れ動いていることがわかります。自然循環では中性原理ともいいますが、中性には定位せず、いつも揺れ動いています。揺れることでバランスを取っているのです。
ひとり一人の個体でも同じことがいえます。日々、バランスを取りつつ懸命に生きているのです。ストレスや発癌、あらゆる疾病もこのバランスの歪みから起きています。極端な陽と陰が渦巻く生命環境で生息する人間は生命の危機を感じ取ることができるのです。
そこで登場するのが、いつまでも地位にしがみついている政治家や大企業の役員です。長期政権は結構ですが、さすがに周囲が耐えきれずに助けを海外に求めています。これから洪水のような告発が噴出することになりますが、全ては犬死にしたくない、バランスを取り戻したい人間の肌感覚の悲鳴が聞こえてきます。
政治家は官邸を公共私物化の総合窓口に変えてしまいました。歴代の首相もそうなのかは定かではありません。しかし、周囲の肌感覚がストレスの限界値を超えるほど極まったのは久々です。公共の私物化から始まったやりたい放題を許すということはいわば特区になります。
当然、周辺の人間の肌感覚は狂ってきます。頭の固い官僚やサラリーマン任せでは何事もスムーズにいきません。トップダウンで公共を私物化するには、人間の肌感覚を無視するしかありません。それで死者が出ようと、精神的に鬱になろうと構わないというわけです。
普通、政治家が一番気にするのは有権者の肌感覚なはずです。しかし、二度の国政選挙で自信満々であり、圧倒的多数与党になって公共の私物化が思いのままの体制が固まってしまったようです。
しかし、まともな日本人の間には選挙での違和感が強く残っています。それを払拭するには数年おとなしくして減税したり、子ども手当を増やしたりして有権者をなだめるしかありません。少なくても、20世紀の政治家はその辺のさじ加減でなんとか政治生命を延ばしてきました。
ところが、21世紀の政治家はそのような感覚がなく、次から次に国民負担を重くするどころか、主権剥奪まで言い出しています。一部の良心的な官僚は眉を顰めていますが追従しないわけにはいかないということで、肌感覚は悲鳴を上げています。要するに、それを押し殺して粛々と作業を進めるから鬱病になるわけです。
前川喜平前文科省事務次官は内部告発を敢行しました。なぜなら、槍玉にあげられている森友と加計学園はいずれも文科省の所轄だからです。つまり、相当数の職員の肌感覚が悲鳴を上げているのを知っています。
本来、トップ、あるいは上司の最優先事項は事業や計画の推進です。しかし、同時にそれに関わるスタッフを意識しない人間など無能でしかありません。ほどなく、全ての計画が頓挫することになります。
人の上に立つには、突破力や交渉力より、この事業推進能力が重要です。ところが、政治家にはこの能力が備わっていません。それでも追従する者たちがいます。無能なトップたちは、「なんとか在任中に公共の利権の一つや二つはモノにしておきたい」と肩肘を張れば張るほどチャンスが増えてきます。人でなしには千載一遇のチャンスなのです。
ここで一気に共謀罪、憲法改悪、本格的軍事国家を仕立て上げれば一部の利権取得者たちは笑いが止まらなくなるでしょう。陰陽師ではなくても、この世界に人間ごときの我欲などまったく歯が立たない法則があることくらい知っているはずです。
これは知識ではなく、肌感覚(センス)の問題です。この視点から見れば、無能なトップが居座る組織の命運は透けて見えてきます。
最近、地上波のテレビ番組を10分も見ていると、私の肌感覚はすぐに限界値に達し、その場を離れるようになっています。あのような番組をつくらされている現場、現場の人の肌感覚が心配になってくるほどです。
民放のテレビ局といえば人気女子アナがいて、一昔前は花形産業でした。しかし、昨今の状況下では花形女子アナは急速に老化し、「頭が悪いから辞めずに務まる」と思われている世界まで落ちてしまったようです。
大出世のつもりが、一転奈落の底パターンにまで落ちぶれてしまったのにはそれぞれ理由があります。それは、余りにも感度がマイナス過ぎるからです。画面に映らないディレクターやプロデューサーも心配です。なぜなら、鬱病とは、気づいた時には手遅れだからです。
私も地元のローカル番組に何度も出演したことがあるので、少しは現場の雰囲気も知っていますが、実際、肌感覚を鍛えないと広告の世界で生き残るのは難しいと感じます。しかし、現在のテレビCMの劣化を見れば、業界関係者の肌感覚の異常が手に取るようにわかります。要するに、存在自体が引き裂かれているわけです。
せっかく憧れの職場に就職できたのかも知れませんが、鬱病と引き換える価値は全くありません。もし、評価額をつけるなら相当低いレベルであり、株価で言えば1株10円程度です。本家本元アメリカの株式市場の実力も1株30セントほどにしかならないでしょう。
いずれにしても、公共の私物化は終わりに近づいており、これ以上日本人の肌感覚を壊すと後で取り返しがつかなくなります。懸命な日本人がそんなまぬけとは到底思えないのです。
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