小学校に通うようになってから日本人はテストや受験で自分答えた答案に?をつけられて長らく生きてきました。単純に答えがあるものに関して、間違っていたら?をつけるならば分かります。しかしこれらは、単なる勘違いか、あるいは記憶違いでしかありません。
三次元物理限定世界で絶対的に正しいモノなどないのです。そのために学問があり、問題に精通した専門の研究家が議論を尽くし、その上で正しいかどうかを定義しているのです。そうなると、ある程度の精度や確度がある定義が無数にできてしまいます。
そして、それを子どもに教えようとする場合、議論の過程に添って、先に生まれた人がどのように議論をし、定義を決めたかになります。重要なのは道筋です。例えば、数学の宇宙は数が限定する枠内に置いて絶対ですが、複数の次元を交差させると、絶対かどうかは分からなくなります。
そんなことにこだわっていると、何も決められないのである程度の定義を公理としているのです。あくまでも便宜上のことでしかありません。それについて長く観察し、物理的な諸条件は分かったが、常にそうであるかどうかを確かめる術はないのです。
分子、原子、素粒子、素粒子を構成するさらに細密なエネルギーを追いかけても際限がありません。しかし、それを地球上で理解するには、高次レベルの情報を受け取り、せめてガイドラインを知るのは大切です。
こう考えると、科学者も随分と罪深いですが、やはり最も罪深いのは教育者と宗教家です。彼らはわざと答えを導いて?をつけようとします。答えは一つしかないと、導いて、否定して、否定して、予め予定された回答だけが正解という手法をとっているのです。
なぜそうするかは明白ですが、最近は仕組みそのものが危うくなっています。なぜなら、一つの答え以外、全否定しないと全体構造が崩壊するからです。特にひどいのはキリスト教で、次いで仏教も劣化が起きています。
教会があって、牧師(神父・僧侶)がいて、信徒がいますが、信徒は予め決められた回答につながれた羊のようになっています。牧師や僧侶はそこに導く役目がありますが、経典や聖書には良いことが書いてあり、人生の指針となりうる道徳、徳目、陰徳の宝庫です。しかし、それは三次元世界限定の袋小路になっているのです。
ある目的(洗脳)に導くのは、自発意識を閉ざすためですが、意識を狭義の物理世界につなぎ止める必要があります。それでも人々は導かれた答えに到達しようと努力を惜しみません。○を貰うために、針に糸を通すような狭き門に群がります。
しかし、散々?を貰い、身も心もボロボロになっても止めようとしないのです。地球を離れると、針の糸がやっと通れる狭き門があるらしいですが、地上世界の宗教(学校教育)を熱心に学び、たくさん○を貰った人間は自信満々で門を通り抜けようとします。
しかし、大企業に入社した途端、急に何もない空間にぶつかり、1ミリも前進できなくなるのです。その理由は、あの世の狭き門は地上と真逆だからです。たくさん?を貰い、それに納得できず、自分自身の意識で道を探ろうとした人間だけが狭き門を通過するのです。
地上世界で最も権威ある欧米主導のエリート組織に導かれた判断は本当に正しいのでしょうか?
科学がや宗教が本当に正しい行き先を導けるのでしょうか?富や権力を持ち、力の強い者が入れ替わり立ち代わり、勝ち続けることが正しいのでしょうか?トランプ大統領やプーチン大統領、あるいはすでにこの世を去った政治的指導者が本当に答えを導けるのでしょうか?
答えを導いて?をつけるような悪癖を、人類はそろそろ止めたらどうでしょう。権威が砂上の楼閣をつくり、人間を教育しようなどと思い上がった仕組みとは、予め枠の決まったカテゴリーを並べ、その範疇で人間をジャッジするというだけなのです。
最初から回答のないモノを○か?かで決める仕組みや多数が正しいと決める仕組み。また、どちらが羊で、どちらが飼われる立場かを見えにくくする仕組み。さらに、そこから距離を置く人間を低き者として蔑む仕組みなどそれらを受け入れないと?な仕組み。
こんな仕組みを受け入れて、世の中がまともに機能するとは到底思えないのです。
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