165.地脈(不動産)の勢いが失われた者たちが餌食になる番

太陽黒点数がゼロを示している通り、どのような仕組みでもあっても自然の流れには逆らえなくなりつつあります。

こんなことは人間なら誰しも教えられずとも知っていることではあるはずですが、現代人は意識する能力を失くしてしまっています。例えば、そもそも土地は誰のものでもない公共のものであるはずですが、人類の長い歴史を振り返ってみると、結局、誰かが我がものと主張して今日に至っているわけです。

戦後、たくさんの住宅地に細分化された土地は、家を買ったり売ったりしたことで、完全に地脈の勢いが死んでいるのがわかります。イギリスで生まれた開発学、つまり植民地政策の基本は、「土地所有の細分化」であるわけです。

1945年に日本に来たアメリカGHQ(進駐軍)は、将来設計を踏まえて土地を際限なく細分化してしまいました。庶民の多くは、自分の土地を持てるようになりましたが、時間とともに土地が荒廃した現在の現実を見れば占領軍の目論みが見事に功を奏したと言えます。

その結果、現在は日本各地どこにでも空き家が目立ち始めています。また、農業は化学合成物質と猛毒、さらに大型機械化と法人化によって巨大資本力の元に集約されつつあります。人為的な貧困化や自給率の低下、そして生命環境の劣化はセットなのかもしれません。

土地は、全体の地脈の流れで豊かさを保っており、私たちが住んでいる土地も地球の裏側とつながっています。結局、その国や地域を貧しくしたいなら、土地を細分化すればいいだけのことです。

特に日本の場合、都市部のスラム化が急速に進んでおり、徐々に生命環境を奪われつつあるのは明らかです。なぜかと言えば、地脈は生命環境のエネルギー源であるからです。そのエネルギー源が失われると、自動的にそこに住む人の知性も失われるということです。

地主や不動産関連業者が、土地を切り売りして儲かるのは長期利息を次々に先延ばしする銀行ですが、その銀行が金利ビジネスの代替として追及してきたのが非金利収入、いわゆる手数料ビジネスです。しかし、これも最早立ち行かなくなっているのは明らかです。

また、地脈の勢いがない土地に住む住人は、やがて衰退していくのは当然のことで、言い換えれば人間都合の貨幣経済も地勢にのって流れています。それを寸断すれば、一時的には儲かるビジネスではありますが、やがて行き詰まることくらい誰の目にも明らかです。

何を勘違いしたのかは知りませんが、政府日銀や財務省、経産省のお偉方の知性は、かなり劣化しているわけです。実際のところ、私の周辺の方々もどん詰まりの袋小路だらけになりつつあります。

こうなると風水も家相もなく、少し長い目で見れば二代目、つまり三代目、長くて四代目を待たずして家運衰退は必至といったところでしょう。結局、その土地は疲弊して生命環境を保つだけのエネルギーを失うことになるということです。

結局、自動的にその上に住む人間や全ての生物の活性化は期待できずに、銀行利息さえ払う余裕もなくなります。40代でようやく土地と家を手に入れ、生涯働き詰めで借金を返済し、家運衰退を選ぶ人生など何が面白くて生きてきたのか分からない人生ではあります。

少なくとも、戦後日本の仕組みの立案者は進駐軍GHQの下敷きに従った時点で終わりなのですが、20世紀前半に世界を不幸のどん底に落とした欧米諸国による植民地政策は世界各地で功を奏しました。

そのような状況の中、日本と韓国は経済優等生と言われていますが、その代わりに両国とも民族的な衰退は決定的となり、日本の場合は残り500年以内に純粋な日本人はこの世から一人残らず消滅するようです。

しかし、それでは地球が創られた意味がなくなるというものです。地球の本当の主人は人類ではないことは明らかですが、この500年ほどは世界中で戦争が起き、誰が盟主なのかを競い合いました。

そして、今のところは日本と朝鮮半島、さらにアジア全体でも同じような経過を辿っています。その原因として、公共という意味が理解できない人間が政府のトップに立ってしまっていることが挙げられます。

いずれ誰の目にも明らかな現象が現れることになり、見る人が見ればすでに実行段階であることもわかっています。アメリカにトランプ大統領が誕生したのもその流れであって、ロシアにはプーチン大統領が鎮座しています。

ところが、この2大政治リーダー以下で、どうしても公共を理解できない日本の歴代首相は、「世界のバランスを崩している」と世界的戦略家のヘンリー・キッシンジャー博士の怒りを買っています。

それに、引きずられる程度の知性がその群れが加わっていますが、その人数が意外にも多いために世の中が停滞しているわけです。

公共が人間どものエゴに屈し、法律がそれを担保する狂気の仕組みが存在しています。さらに言えば、いくら公共を理解していても、実行が伴わなければ絵に描いた餅なわけです。もはや公共のために個人所有を手放すくらい何でもないはずです。

「ここは俺の土地だから一切手を出すな!」と語る人間であっても、その周辺の途切れない地脈の恩恵なしには生きることはできません。土地と一緒に意識まで失くしてしまれば、どのみち未来は暗いでしょう。

まずは、誰のものでもない公共の前の平等から仕切り直さないと、餌食になるのは私たち自身であることを知ることからです。

164.本当の豊かさを失った私たち日本人の生活②

INDEX

166.人類が「思想の集団感染」にかかっている中での生活