156.選挙というのは、本当は「無秩序な秩序」のこと

「僕が生きていけているので」若者に際立つ安倍政権支持
2019年7月1日の朝日新聞へのリンク画像です。

これまで人類の遺伝子が脈々と引き継がれてきたのは、自然に適応したからではなく、「自然淘汰から逃れる力が内にあった」ことは明らかです。

それぞれの遺伝子が受け継いでいるのは、物理世界の成立に不可欠なエネルギーであって、人は誰しも心の中にある楽園に住んでいるように思います。だから、国や政府など大して意味がないと言えるわけです。

一方、動物界の原則というのが適所生存であるわけですが、人間は動物とは少し異なります。野生には猛獣が無数におり、これまで無数の人間が餌食になってきた歴史があったとしても、村が全滅したという話を私たちは未だに聞いたことがありません。

地上が物理世界だけの動物の世界なら、裸の猿である人類など生き残れるはずがありません。自然は、地球という場を提供され、その半分ほどを人類の意志に任せています。だから、人は「内なる力を持って生まれて来る」ということです。

基本的に、人は神の望みと共にありますが、神は正反対の意見に対しても決して否定することはありません。事実として、「この世に神も仏もないと嘆く人間」は、神が何もかも制限しない側面を見逃すからそう考えるわけです。

あくまでも許容範囲は無限であって、いくらでも余裕はあります。そうでなければ人に進化の余地などないはずです。毒も薬も表裏一体であって、何事に対しても毒にも薬にもなるわけです。だから、タバコや酒が存在できるのかもしれません。

実際に、男女の恋愛感情や趣味、嗜好、情熱など、毒にも薬にもなり得る問題が人類を成長させていることがわかるはずです。例えば、どこかの新興宗教団体のように男女を勝手に結婚させるのは、彼らが嫉妬深い神の従僕だからです。

そんな狭い考えを持つ新興宗教団体でも、集団として存在できるほどこの世界は振り幅が大きいものです。政党も全く同じことが言えます。そして、振り子は戻ることになり、中心を通り越して反対局面に大きく振れていきます。

旧約聖書に記されたことを信じるユダヤ人たちが世界各地に散ばらっていく過程で、嫉妬深い神は明らかに無頓着な神に反旗を翻しました。しかし、神はそれをあっさりと黙認し、その日以来、アメリカ型社会が壊れつつある現在まで、幾度も揺り戻された振り子は、最大の振り幅で反対局面へ振れ始めつつあります。

結局、神に逆らうことなどできず、世界の秩序も無秩序も神の一部でしかないことを悟るのみです。神の意識は、人間のつくる仕組みや組織にさざ波を立て、それが個々の心に響き渡ります。いよいよ人類は、新たな進化に遭遇することになります。

人類の進化を一切望まないのは勝手ですが、永遠の契約を結ばされるほど迷惑なことはありません。何教でも何宗派でも構うことなく、通貨経済信仰でも暴力装置信仰でも構いません。人は一つの信仰、挙党一致、一人の指導者になった時点で終わってしまうということです。

北朝鮮のように長らく国の成長は止まり、日本でも絶対的リーダーのように振る舞う指導者がいますが、それは間違いなく偽者であることは誰の目にも明らかです。もはやあれやこれやと屁理屈を言っている場合ではないわけです。

だから、私たちは政府、企業、個人などに騙されているわけで、何度も同じ失望を味わっています。そして、神も仏もないと嘆くことになるというわけです。彼らは、私たちの人生の幸せを遠ざけるために生きているだけです。

私たちが行うべきは、見え隠れする光をがっちりと掴み、それが希望であり、未来であるかのように振る舞うことです。大衆が愚かというよりも、心を忘れた人間は自ら見せかけの秩序に囚われ、騙され続けています。

何事も自分の意志で物事を決め、自分の心に聞くことです。たとえ不正選挙であっても、無秩序に見せかけた秩序が無秩序な秩序を選ぶのが選挙です。現在の選挙はどこまでいっても完璧な仕組みにはなりません。

なぜかと言えば、実施している組織自体が中央集権だからです。せめて候補者は、これまで何をやってきたのか、あるいは何を主張してきたのかを調べた結果、選挙区に選びたい候補者がいないかもしれません。

その場合、変化につながる候補者を選び、まずは、現状を変え、変化を起こすことです。何も変わらないのが最もつまらないことです。いよいよ参議院選挙が始まります。

155.誰もが近づきたくない「人間」とむしろ近づきたい「人」の違い

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