153.21世紀の理想的な公共優先社会

2019年4月1日に新元号「令和」が発表され、5月1日に新天皇が誕生しました。いよいよ人類は一斉に環境破壊を止めることになりそうです。各家庭では化学合成製品を使わなくなり、食品加工や家庭医薬品メーカーも行き詰まることになるかもしれません。

全ての農業事業者は、農薬・化学合成肥料の使用を止め、原料を精製する関連企業は早々に行き詰まりを見せ、生活に必須な道路などの交通インフラを除く全ての土木工事も停止し、新たな港湾、空港などの整備事業も一旦停止する。

また、基地や原発などの新設はもとより、不要不急の整備工事もストップし、世界中の森林伐採は中止され、大規模な破壊、開発計画は全て破棄となるということです。

さらに、商社やゼネコン、開発調査会社やプラント建設関係はほどなく行き詰まり、テレビや新聞のスポンサーである大企業は、いつものようにマスメディアを通して「社会の大混乱や必需品の欠品が生じる…」などと、大々的なキャンペーンを攻勢を仕掛けることでしょう。

しかし、そんなことは誰の目にも明らかなことであって、環境破壊を積極的に行う企業を野放しにするリスクに比べたら小さな話ですが、それを大多数の日本国民が合意した上でデフォルト(国家債務不履行)ということになります。

遡ること約8年前、世界中のマスメディアがあらゆる言語で報道するニュースを日本語で分析し、政治経済、金融、国内外情勢に至るまで、騙され続ける日本人の情報リテラシーを育てるための事業がスタートしました。

ほとんど場合、私たちが住んでいる場所は自然と隣接し、他の住民や農家、牧場とも隣接しています。したがって、今後私たちがおこなうべきは、多様な種を撒き続け、環境に合致した樹種や作物が自然に繁茂するのを促していくだけです。

さらに、大規模な土地区画の再編を行い、可能な限り一戸一戸の土地区画を最低100坪ほどに置き換えていく必要があります。幸いなことに、現在は空き家が多いため、居住者が不在なら移行はスムーズにいくはずです。

土地所有者の所有権には手を付けないまま、区画は再編していきます。なぜなら、個人の所有権より全体の利益(公共)が重視されるからです。河川周辺や崖地に居住する方は、安全な中間地帯に移住し、河川や崖地の場合、緩衝地帯を設置し、幹線道路や鉄道に隣接する家屋も移動させます。

すでに住宅地として開発されており、長年のデータから水害やその他の甚大な被害を受けない場所を居住エリアにしていきます。そして、それとは別に農地を確保しますが、どちらにも当てはまらない空き地が増える分には問題はないと思われます。

いずれにしても、人には伸ばせるだけ羽を伸ばせるスペースが必要です。同時に、大規模な畑はもはや無用です。各家庭に菜園があり、小規模なコミュニティー共有菜園を設けていきます。近未来は、環境破壊型大規模農業はなくなる前提で考えていくべきです。当然、穀倉地帯は温存されますが、生産量は低下します。

なぜかと言えば、前提では自然農法しか認めないからです。それぞれのコミュニティーでは、簡易的な畜産を含めた自給自足や地産地消体制を強化していきます。これは、現在の中央集権では到底無理な政策です。

同時に、エネルギーの無料化を進め、水の供給体制の再整備を行い、水は飲用水と中水のそれぞれを既存の水道や井戸の再利用で賄っていくことで、使用料は最終的に限りなく無料にしていきます。

電気は、可能な限り地域ごとに水力発電を軸に長期安定型インフラを整備し、技術の進歩で太陽光やその他の電源が利用できる場合は随時採用していきます。同じく、燃料電池もさらなる進化の後に採用を見当することになるものと考えられます。

できる限り、すでに技術として存在しているトーラス・エネルギーの電源や常温核融合技術が普及することが望ましく、これまで散々邪魔をしてきた政治家や企業、個人がいなくなるので、物事はあり得ない速度で進むことに期待したいと思います。

要するに、いくらカネや土地を持っていても資産にはならない時代に変わっていくということです。あくまでも公共を優先し、生命環境を豊かにしていきます。個人所有という概念を棄てていくということです。

ただし、共有菜園といっても畑ではなく、食料やエネルギー、水も公共のモノとして無料にしていきます。技術開発やその他第三次産業でも必要なものは残しますが、それも公共のベースの上に成り立つように、突出した利益を誰かが独占する必要がないというわけです。

この頃には、世界各国から中央銀行が駆逐され、カタチを変えた銀行が残る可能性はありますが、人々はそれほど必要とはしないでしょう。さらに、医療や教育、防衛、貿易はそう遠くない未来、あるにはあっても現在とは様相が一変するはずです。

それが無理からぬことと思えない一部人間による想像力の欠如が恐ろしいわけですが、それが公共の利益に適うなら、誰も文句は言いません。一方、政府や行政、立法という中央集権など時代錯誤も甚だしいとしか思えません。

152.一時的に本州の教室を閉鎖することへの思い③

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