アメリカやイギリスのミュージックビジネスがほとんどユダヤ系だとは知らなかった1980年代、私は中学・高校生でした。今、振り返ってみるとロックミュージックは強く輝きながら、バンドの崩壊が始まっていました。
当時は、驚異的なカリスマ性を持ち、エキセントリックなパフォーマンスをしていたミュージシャンでしたが、精神異常を起こしたようなスリリングな熱狂に酔いしれていた若者が多くいました。これは今でも同じであり、時勢特有の現象、それとも熱狂を演出する偽旗作戦なのでしょうか。
一方、政治の世界では自民党は圧倒的な支持基盤を持っていました。アメリカをバックに持ち、何があっても2000年までは揺るぎがありませんでした。ところが、2000年を過ぎると政治の仕組みとミュージックとの乖離が顕著になってきました。20世紀の論理でいつまで政治をやるつもりなのでしょうか?
アメリカのメディア支配の構図は現在のトランプ政権でも健在に見えますが、それは日本の事情も同じだといえます。間違いなく一線を越えのは2007年頃でした。自ら進んで変化に対応する姿勢が有ると無いでは大違いです。
鈍感な人でもこの頃を境に、旧態依然としたライフスタイルを一切変えなかったことで、ゆっくりと浸透することにより苦しみを味わっています。20世紀のあらゆる仕組みはミュージックとシンクロしなくなりました。
それでも、無理矢理古い仕組みに固執すると深い意識レベルの不協和音に苦しむことになります。症状は鬱病に近く、意識と波動帯が合っていません。幼い子どもは泣けば解消できますが、この問題を棚上げする時間が長くなればなるほど誤魔化しが効かなくなっています。
もちろん彼・彼女らに自覚症状はないようです。東大→ハーバード大→官僚のような20世紀的エリートコースであったとしても、すでに今は21世紀も17年を超えているため、本人の努力がどうであれ波動帯が違いようです。
精神崩壊に悲鳴を上げる激しいストレス状態から自らを守るために、彼・彼女らは波動帯と乖離する日常ストレスは最終的に人格崩壊に至ることが分かっています。政治行政、官民問わず、20世紀を引きずった組織で生きる人間は少なからず精神的なダメージを受けているわけです。
20世紀を引きずった仕組みはこの先続くことはないのに、それが見えているのに精神崩壊している議員を選んでいます。なぜなら、多くの有権者も現状、20世紀型組織に属しているからです。少なからず危ない議員同様に軽い鬱状態が進んでいるようです。こうなると正常な判断は難しくなります。
こうなると、カギは国民総鬱病化であり、まともな人には打つ手がなくなってしまいます。アメリカではまともな人々は静かに変化を受け入れ、これから先の波動帯を見据えています。旧態メディアがどれほどネガティブ・キャンペーンを展開しようがまったく動じていません。
全ての仕組みが新しい波動帯に対応するまで、混乱は続くことになりそうです。キラ星のように登場したロックバンドやスーパースターも古い仕組みに縛られ、苦悩しています。これまで自由を求めて殺されたアーティストも少なくありません。人々はその急速に劣化する姿を見て、我が身に置き換え、変化を受け入れる勇気を得ています。1%勢力が滅びるのは時間の問題です。
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